諦めも大事(長いよ!)
あーちゃん
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今は諦めがついています。いや本当は恨みもありますが、
寿命を迎える前までの、いっときだけの感情です。
私のニート経験も、人生の勝ち負けも、
今はもう割とどうでもいいんです。
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3 |
幸せ自慢をされると、「それマウントか?」と、いらっときます。
不幸自慢も同情を引きたいのが見え見えで、
同じくいらっときます。私は心が狭いんです。
しかし嫌なやつだと自覚したら、心が楽になりました。
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4 |
私は十九で上京し、最後は就職する条件で、
研修生として学費を払い、働いた。
しかしそこは類稀なるブラック企業で、
しかも就労詐欺。被害者が沢山いました。
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5 |
「技術は盗み見て会得するもの」と偉そうに言われ、
「いいから黙って教えろよ、こっちは金払ってるんだが」と、
無給の私は思いましたが、尋常ならざる
ヒス持ちだったので、口には出しませんでした。
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6 |
毎日残業、休みなし。上司もクズで、私は、
今思うと完全なる鬱となり、数年を無駄にし、
あんな会社に追い出される形で実家に帰った。
実働二年ですが。後は鬱で通えなかった。
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7 |
一人親で、しかも大枚をはたいた母は、
大激怒した。私は言い訳できなかった。
常に迷惑をかけずに死ぬ方法を探していた。
考えに考え抜いても見つからないので、
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実行に移せませんでした。また絶望です。
毎日誰かと比べては、自分を卑下していました。
なぜ私は成功できなかったのか、みんな幸せなのに。
常に人と比べ、そして親とは冷戦状態でした。
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我が家には、身障一級の、
くも膜下出血で倒れた祖父がいました。
祖父は左の親指しか動かせず、寝たきり。
目は見えていたが、耳がかなり遠かった。
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母はナースだったので、短命予定の祖父を
二十年以上生かしました。母はプロでした。
両手いっぱいに乗る薬を、計画的に減薬し、
最終的に祖父は、意識をはっきり保てるようになった。
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健康的な食事も取らせた。たまにはハンバーガーとか
食べさせてあげてといった私に賛同した母は、
買ってきたはいいものの、食べやすいようグチャグチャにし、
気持ちの悪い謎物体を錬成し、祖父に
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強く拒絶される、そんな不器用な人だったので、
「あんたどうせ暇なんだからやってよ」と言われ、
その日から祖父に三食食べさせるのは、
私の担当となりました。
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祖父は、いきなり担当が私に変わっても、
表情も変えず、与えられるまま食べ、
「お腹いっぱい」も「足りない」も、不平不満も言わない。
手のかからない人、それが祖父でした。
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祖父は現役時代、人望厚く、ユーモアがあり、
村のまとめ役で寺の総代で、民生委員に、
農協の理事と、大活躍の人気者でした。
本業の農業も、田畑が多く多忙でした。
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祖父が倒れたのは私が十歳の頃です。
村中が駆けつけ、県で一番でかい病院でしたが、
脳外科が大混乱して、とりま落ち着けと、病院側が
用意した食堂が、村人により占拠された。
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これはミスったらやばいと思ったのかどうかはわかりませんが、
祖父は健康を取り戻し帰ってきました。しかし
二回目の実験的な手術で、寝たきりに。
あの時手柄に走った教授陣を、私は死ぬまで許さない。
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当時、毎日来ていた見舞客達は、
時間と共に祖父を忘れ、毎日あれだけ届いていた
見舞いの品も無くなっていました。
それが私が帰った時の祖父の姿でした。
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見合いであてがわれた祖母は、重度の人格障害者。
何を言ってもまず怒鳴る。言葉を理解していない。
祖母は献身的な姿を、最初は演じていましたが、
客が来なくなると飽き、祖父を虐待したようです。
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これは後から私が母に聞いた話ですが、
祖母は、母も容赦なく虐待し育てました。
仕事で忙しい祖父は、祖父なりに、
たった一人で、母に深い愛情を注いでいた。
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だから母は、祖父のおかげでグレなかった。
過酷な環境下で勉強し、国試に受かり、
県で一番腕がいい病院に就職した母は、
そこで複雑な人間模様と権力争いを見た。
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しかし愚かな母は、自分が虐待の被害者だという
自覚が全くなく、洗脳されたまま私を産んだ。
母なりの愛情表現は全然私に伝わらず、
そして私も虐待被害者で、しかも鬱でした。
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やることもないので、祖父にご飯を食べさせ続けた。
ある時私のペースが早かったのか、
祖父がむせて、口の中のものを
私の顔に、正面からぶっかけました。
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祖父の顔は一瞬にして青ざめました。
鬱だった私は冷静で、まずティッシュを取りに立ち、
自分の顔を拭き、次に祖父の口元を拭いました。
それから微笑みかけました。別に平気だよと。
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そんな事があり、祖父の気遣いに気付きました。
母から、祖父の好きだったものを聞き出し、食べさせ、
大好きな戦争映画をたくさん借りて、私も
一緒に鑑賞した。祖父が笑えば、私も嬉しかった。
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祖父と私の関係は、心の健康を、一緒に少しずつ、
取り戻していく感じ。私は、同人誌を描き始めました。
プロになるための練習と、大好きな趣味を兼ねて。
鬱だった私の描くBLギャグは、
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同じく、辛い環境で、なんの楽しみのない人の、
一部を力づくで笑わせられたかも。そう思いたい。
赤字でしたが、差し入れをいただきました。
頑張った甲斐があり、うれしい言葉も頂戴しました。
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しかし、私の夢は漫画のプロです。
祖父にご飯を食べさせる時間以外は、
必死になって漫画を描きました。
親友も応援してくれました。
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親友は、夜にしか出たがらない私を、
夜中時たま迎えに来ては、朝までゲーセンで
一緒に過ごしてくれました。母なりの愛情表現で、
私はお小遣いをちゃんともらっていたので、
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画材や遊びといったお金には特に困ることもなく、
親友と夜な夜な遊び、漫画の投稿を続けました。
結果的にどうなったか。絵が基準を越えたので
編集から電話が来ましたが、満足に受け答えできず。
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何を話したらいいか全くわからず、混乱しました。
こいつは人格に問題ありと思われました。
結婚前提の恋人がいたので、彼のためにも、
プロになりたかったが、人格否定され、心が折れた。
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この頃には、なんとか同人誌の発行と、
彼との文通や、テレビは見ないけど、
映画好きな私のために、彼がたまに送ってくれる
映画を見て、少し笑えるようになっていました。
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鬱の原因は過酷な労働。夢破れたがそれもよし。
携帯を解約し、思い切って友達も整理し、人は、
個性も才能も違うのだし、と思えるようになりました。
私は結婚を生きがいに、新たに頑張ろうと思いました。
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そんな時、祖父が私に言いました。
「頼むから殺してくれ」と。
祖父は自分で動くことができない事に、
生き恥を感じていたのだと思います。
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見舞客も来ず、人々から忘れ去られ、
かといって仕事もできず、ただ食べて寝るだけ。
高潔で誇り高い祖父のことです。
生きてるだけで、家族に迷惑をかけていると
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一人苦悩していたのでしょう。
だからわがままはおろか、暑いも寒いも言ってくれない。
夏は暑くて熱を出し、冬は寒くて風邪を引く。
「おじいは生きてるだけで、家族のためになってるんだよ」
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私はなんとか頑張って、熱弁を奮った。
母が二十四時間看病に奮闘しているのは、
祖父の為。私がここまで良くなったのも、
祖父や親友や、恋人のおかげです。
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祖父はそれ以上、何も言いませんでしたが、
こぼれそうな涙は、引っ込んだようでした。
祖父が心穏やかでいられるよう、できることをしよう。
死にたい気持ちはよく分かる。何より、祖父が好きでした。
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いつも延々と怒鳴られてたので、長い話は理解不能。
そして愚かで不細工ですが、それでも彼が転勤して来て、
「結婚してくれ」と、プロポーズしてくれました。
なんか長かったし、酔ってたのでよく覚えていませんが。
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顔はイケメン、心は豊か。お金はないけど、愛情深い。
ユーモアがあり、反論に困ったらいつもそれで躱す。
うまく逃げられているようですが、そんな彼が今でも一番。
私のカラムーチョを勝手に食べるが、子供もいないし、別にいい。
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十二年前の話です。今は静かに余生を送ってます。
感情の波がフラットで、心は大筋で健やかです。
普通の主婦となり、毎日それなりに楽しいです。
面倒臭いですが、なんとか仕事にも通っています。
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ダメ元応募がラッキーなことに採用されたので、
暗黒の履歴を消すために、それなりに仕事をしています。
職業に貴賎はないと言いますが、多分そうだと思います。
私はデスクワークというか、パソコンを扱うことに、
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やたらストレスを感じるので、体を動かす方が好きです。
与えられた仕事を、それなりに集中してやってます。
要は適性なんだなと気づきました。快適なオフィスワークに
憧れますが、私の適性は、黙って体を動かすこと。
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いつまで続くかわかりませんが、転職目指して頑張ってます。
友人から、もっと条件の良い職場に誘われています。
先日、初めて社会人の一人として、給料をもらいました。
私は社会に出るとき、最初に思いっきりつまづいたので、
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大怪我をして、しばらく立ち直れませんでしたし、
今まで職場運がなさすぎたので、バイトも給料未払とか、
普通にありました。ホワイトって最高ですね。寒いし、
立ち仕事なのでキツいし、腰にも来るし、低温やけどもしてるけど。
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私が今、幸せな理由は、生きる目標や理想が、
人よりかなり低いからだと思います。なるべくなら人様に、
迷惑かけないように気をつけ、息吸って吐いてりゃもう充分。
真面目に生きてりゃ、それで上出来。
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最後に、私が元気になった後、
ニートの私が、最強の敵である母を、
論破した言葉を書こうと思います。
母は、描いてる漫画のベタ塗りが多く、
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よくマッキーでシンナー臭くなっていた私に、
何かを思ったのか、漫画を夜中描いていると、
足音を消して、突然部屋へ入ってきたり、
朝帰りしている私に不満を持ち始めていました。
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母は言いました。「毎日変な漫画描いて、
夜中ほっつき歩いて朝帰りして、他の子を見てごらん?
恥ずかしくないの?働いたらどうなのよ!!」
元気になっていた私は、言い返しました。
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「わたしは確かに朝帰りすることもあるけど、
ゲーセンで友達とゲームかカラオケしてるだけで、
ドラッグも売春も恐喝もギャンブルもしないし、酒乱でもない。
この環境でグレなかっただけでありがたく思え!
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おじいにご飯をちゃんと食べさせてる!!
それ以上は無理なんだよ!!大体あんたは、
昔からわたしに完璧を求めすぎる!!わたしの器は
おチョコの底より小さいんだよ!!」
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母はそれを聞いて黙ったが、また何かを思ったようで、
「それもそうね」と、反論に、珍しく同意してくれました。
母は笑っていました。私は冷戦を終わらせるため、
「トビが鷹を生むのはレアだから」と、母を追い詰めました。
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