Ver. 3.25 (Aug 2024-) orpheus2024a |
||||||||||
|
データ種別 | サイズ(Bytes) | ファイル名 | ファイル仕様 |
---|---|---|---|
mp3 音楽ファイル | 13832640 | 529198.mp3 | MPEG ADTS, layer III, v2, 128 kbps, 16 kHz, JntStereo |
MIDI データ(カラオケ用、加工用) | 144809 | 529198.mid | Standard MIDI data (format 1) using 14 tracks at 1/384 |
pdf 楽譜 | 6076467 | 529198.pdf | PDF document, version 1.4, 62 pages |
lilypond 楽譜データ | 149327 | 529198.ly | Unicode text, UTF-8 text, with very long lines (357) |
「諦めも大事(長いよ!)」 あーちゃん
♪ 今は諦めがついています。いや本当は恨みもありますが、 寿命を迎える前までの、いっときだけの感情です。 私のニート経験も、人生の勝ち負けも、 今はもう割とどうでもいいんです。 幸せ自慢をされると、「それマウントか?」と、いらっときます。 不幸自慢も同情を引きたいのが見え見えで、 同じくいらっときます。私は心が狭いんです。 しかし嫌なやつだと自覚したら、心が楽になりました。 私は十九で上京し、最後は就職する条件で、 研修生として学費を払い、働いた。 しかしそこは類稀なるブラック企業で、 しかも就労詐欺。被害者が沢山いました。 「技術は盗み見て会得するもの」と偉そうに言われ、 「いいから黙って教えろよ、こっちは金払ってるんだが」と、 無給の私は思いましたが、尋常ならざる ヒス持ちだったので、口には出しませんでした。 毎日残業、休みなし。上司もクズで、私は、 今思うと完全なる鬱となり、数年を無駄にし、 あんな会社に追い出される形で実家に帰った。 実働二年ですが。後は鬱で通えなかった。 一人親で、しかも大枚をはたいた母は、 大激怒した。私は言い訳できなかった。 常に迷惑をかけずに死ぬ方法を探していた。 考えに考え抜いても見つからないので、 実行に移せませんでした。また絶望です。 毎日誰かと比べては、自分を卑下していました。 なぜ私は成功できなかったのか、みんな幸せなのに。 常に人と比べ、そして親とは冷戦状態でした。 我が家には、身障一級の、 くも膜下出血で倒れた祖父がいました。 祖父は左の親指しか動かせず、寝たきり。 目は見えていたが、耳がかなり遠かった。 母はナースだったので、短命予定の祖父を 二十年以上生かしました。母はプロでした。 両手いっぱいに乗る薬を、計画的に減薬し、 最終的に祖父は、意識をはっきり保てるようになった。 健康的な食事も取らせた。たまにはハンバーガーとか 食べさせてあげてといった私に賛同した母は、 買ってきたはいいものの、食べやすいようグチャグチャにし、 気持ちの悪い謎物体を錬成し、祖父に 強く拒絶される、そんな不器用な人だったので、 「あんたどうせ暇なんだからやってよ」と言われ、 その日から祖父に三食食べさせるのは、 私の担当となりました。 祖父は、いきなり担当が私に変わっても、 表情も変えず、与えられるまま食べ、 「お腹いっぱい」も「足りない」も、不平不満も言わない。 手のかからない人、それが祖父でした。 祖父は現役時代、人望厚く、ユーモアがあり、 村のまとめ役で寺の総代で、民生委員に、 農協の理事と、大活躍の人気者でした。 本業の農業も、田畑が多く多忙でした。 祖父が倒れたのは私が十歳の頃です。 村中が駆けつけ、県で一番でかい病院でしたが、 脳外科が大混乱して、とりま落ち着けと、病院側が 用意した食堂が、村人により占拠された。 これはミスったらやばいと思ったのかどうかはわかりませんが、 祖父は健康を取り戻し帰ってきました。しかし 二回目の実験的な手術で、寝たきりに。 あの時手柄に走った教授陣を、私は死ぬまで許さない。 当時、毎日来ていた見舞客達は、 時間と共に祖父を忘れ、毎日あれだけ届いていた 見舞いの品も無くなっていました。 それが私が帰った時の祖父の姿でした。 見合いであてがわれた祖母は、重度の人格障害者。 何を言ってもまず怒鳴る。言葉を理解していない。 祖母は献身的な姿を、最初は演じていましたが、 客が来なくなると飽き、祖父を虐待したようです。 これは後から私が母に聞いた話ですが、 祖母は、母も容赦なく虐待し育てました。 仕事で忙しい祖父は、祖父なりに、 たった一人で、母に深い愛情を注いでいた。 だから母は、祖父のおかげでグレなかった。 過酷な環境下で勉強し、国試に受かり、 県で一番腕がいい病院に就職した母は、 そこで複雑な人間模様と権力争いを見た。 しかし愚かな母は、自分が虐待の被害者だという 自覚が全くなく、洗脳されたまま私を産んだ。 母なりの愛情表現は全然私に伝わらず、 そして私も虐待被害者で、しかも鬱でした。 やることもないので、祖父にご飯を食べさせ続けた。 ある時私のペースが早かったのか、 祖父がむせて、口の中のものを 私の顔に、正面からぶっかけました。 祖父の顔は一瞬にして青ざめました。 鬱だった私は冷静で、まずティッシュを取りに立ち、 自分の顔を拭き、次に祖父の口元を拭いました。 それから微笑みかけました。別に平気だよと。 そんな事があり、祖父の気遣いに気付きました。 母から、祖父の好きだったものを聞き出し、食べさせ、 大好きな戦争映画をたくさん借りて、私も 一緒に鑑賞した。祖父が笑えば、私も嬉しかった。 祖父と私の関係は、心の健康を、一緒に少しずつ、 取り戻していく感じ。私は、同人誌を描き始めました。 プロになるための練習と、大好きな趣味を兼ねて。 鬱だった私の描くBLギャグは、 同じく、辛い環境で、なんの楽しみのない人の、 一部を力づくで笑わせられたかも。そう思いたい。 赤字でしたが、差し入れをいただきました。 頑張った甲斐があり、うれしい言葉も頂戴しました。 しかし、私の夢は漫画のプロです。 祖父にご飯を食べさせる時間以外は、 必死になって漫画を描きました。 親友も応援してくれました。 親友は、夜にしか出たがらない私を、 夜中時たま迎えに来ては、朝までゲーセンで 一緒に過ごしてくれました。母なりの愛情表現で、 私はお小遣いをちゃんともらっていたので、 画材や遊びといったお金には特に困ることもなく、 親友と夜な夜な遊び、漫画の投稿を続けました。 結果的にどうなったか。絵が基準を越えたので 編集から電話が来ましたが、満足に受け答えできず。 何を話したらいいか全くわからず、混乱しました。 こいつは人格に問題ありと思われました。 結婚前提の恋人がいたので、彼のためにも、 プロになりたかったが、人格否定され、心が折れた。 この頃には、なんとか同人誌の発行と、 彼との文通や、テレビは見ないけど、 映画好きな私のために、彼がたまに送ってくれる 映画を見て、少し笑えるようになっていました。 鬱の原因は過酷な労働。夢破れたがそれもよし。 携帯を解約し、思い切って友達も整理し、人は、 個性も才能も違うのだし、と思えるようになりました。 私は結婚を生きがいに、新たに頑張ろうと思いました。 そんな時、祖父が私に言いました。 「頼むから殺してくれ」と。 祖父は自分で動くことができない事に、 生き恥を感じていたのだと思います。 見舞客も来ず、人々から忘れ去られ、 かといって仕事もできず、ただ食べて寝るだけ。 高潔で誇り高い祖父のことです。 生きてるだけで、家族に迷惑をかけていると 一人苦悩していたのでしょう。 だからわがままはおろか、暑いも寒いも言ってくれない。 夏は暑くて熱を出し、冬は寒くて風邪を引く。 「おじいは生きてるだけで、家族のためになってるんだよ」 私はなんとか頑張って、熱弁を奮った。 母が二十四時間看病に奮闘しているのは、 祖父の為。私がここまで良くなったのも、 祖父や親友や、恋人のおかげです。 祖父はそれ以上、何も言いませんでしたが、 こぼれそうな涙は、引っ込んだようでした。 祖父が心穏やかでいられるよう、できることをしよう。 死にたい気持ちはよく分かる。何より、祖父が好きでした。 いつも延々と怒鳴られてたので、長い話は理解不能。 そして愚かで不細工ですが、それでも彼が転勤して来て、 「結婚してくれ」と、プロポーズしてくれました。 なんか長かったし、酔ってたのでよく覚えていませんが。 顔はイケメン、心は豊か。お金はないけど、愛情深い。 ユーモアがあり、反論に困ったらいつもそれで躱す。 うまく逃げられているようですが、そんな彼が今でも一番。 私のカラムーチョを勝手に食べるが、子供もいないし、別にいい。 十二年前の話です。今は静かに余生を送ってます。 感情の波がフラットで、心は大筋で健やかです。 普通の主婦となり、毎日それなりに楽しいです。 面倒臭いですが、なんとか仕事にも通っています。 ダメ元応募がラッキーなことに採用されたので、 暗黒の履歴を消すために、それなりに仕事をしています。 職業に貴賎はないと言いますが、多分そうだと思います。 私はデスクワークというか、パソコンを扱うことに、 やたらストレスを感じるので、体を動かす方が好きです。 与えられた仕事を、それなりに集中してやってます。 要は適性なんだなと気づきました。快適なオフィスワークに 憧れますが、私の適性は、黙って体を動かすこと。 いつまで続くかわかりませんが、転職目指して頑張ってます。 友人から、もっと条件の良い職場に誘われています。 先日、初めて社会人の一人として、給料をもらいました。 私は社会に出るとき、最初に思いっきりつまづいたので、 大怪我をして、しばらく立ち直れませんでしたし、 今まで職場運がなさすぎたので、バイトも給料未払とか、 普通にありました。ホワイトって最高ですね。寒いし、 立ち仕事なのでキツいし、腰にも来るし、低温やけどもしてるけど。 私が今、幸せな理由は、生きる目標や理想が、 人よりかなり低いからだと思います。なるべくなら人様に、 迷惑かけないように気をつけ、息吸って吐いてりゃもう充分。 真面目に生きてりゃ、それで上出来。 最後に、私が元気になった後、 ニートの私が、最強の敵である母を、 論破した言葉を書こうと思います。 母は、描いてる漫画のベタ塗りが多く、 よくマッキーでシンナー臭くなっていた私に、 何かを思ったのか、漫画を夜中描いていると、 足音を消して、突然部屋へ入ってきたり、 朝帰りしている私に不満を持ち始めていました。 母は言いました。「毎日変な漫画描いて、 夜中ほっつき歩いて朝帰りして、他の子を見てごらん? 恥ずかしくないの?働いたらどうなのよ!!」 元気になっていた私は、言い返しました。 「わたしは確かに朝帰りすることもあるけど、 ゲーセンで友達とゲームかカラオケしてるだけで、 ドラッグも売春も恐喝もギャンブルもしないし、酒乱でもない。 この環境でグレなかっただけでありがたく思え! おじいにご飯をちゃんと食べさせてる!! それ以上は無理なんだよ!!大体あんたは、 昔からわたしに完璧を求めすぎる!!わたしの器は おチョコの底より小さいんだよ!!」 母はそれを聞いて黙ったが、また何かを思ったようで、 「それもそうね」と、反論に、珍しく同意してくれました。 母は笑っていました。私は冷戦を終わらせるため、 「トビが鷹を生むのはレアだから」と、母を追い詰めました。 |